No.1「めじょけねの~」山形新聞2011.2.6「日曜随想」

 私が代表理事をしているNPO法人あらたは、1987年に「福祉マップをつくろう」の呼びかけに応じた十数人で始まった。自分も人も地域も、そして福祉をも「あらためる」「あたらしくする」団体として「ボランティアサークルあらた」と命名し、最初の活動として福祉マップをつくることにした。    当時ボランティアセンターがなかったので毎週月曜日の夜に酒田市身体障害者福祉センターを拠点に定例会を開催した。障がいのある人や異業種の集団であるためか、福祉、ボランティア、バリアフリー、ノーマライゼーション等についての議論は尽きなかった。その成果が、あらたのミッション(志)となった。 ボランティア活動を自分も人もそして地域も育つ活動ととらえ、赤ちゃんからお年寄りまで障がいのある人もない人も互いに胸襟を開いて触れ合う街づくりを目指すこととした。今もこのミッションを具現化する活動や事業を展開している。 さて、話し合いを重ねたある日「とにかく外に出て調査をしよう」ということになった。当時私は、第三子妊娠中で、上の子も連れての参加だった。講師をしていた酒田保育専門学校の生徒や、ボランティア仲間と共に、酒田市役所を出発した。私も車椅子に乗り進んだ。すると、強い視線を感じた。何だろうと目を向けるとバス停にいる人たちがこちらを見て見ぬふりをしている。車いす三台と学生、妊婦に幼児という見慣れない集団だから仕方がない。 車椅子の仲間に「すごい視線ですね」と言う。すると「そうでしょ。それに耐えて外に出てるんですよ。われわれは。」との返事。人事のように聞きながら車椅子で進むと思いがけない声が聞こえて来た。 「めじょけねぇの。腹でっけんでねか。まだ若いんでねえ。めじょけねえの。」 私のことだ。途端に楽しい思いがスーと消え暗い気持ちになっていった。背中を何本もの矢で刺されたように心が痛い。私は障がいはありません。違いますと言って立ちたくなった。そう思った自分に気づき愕然とする。私は偏見や差別のない社会をつくろうとこの活動をしているのに自分の中にそれがある。 翌日の定例会で、この体験を伝え会長失格だと告げる。障がいのない人達は難しい顔をして、真剣に考え込んでいる。一方、障がいのある人たちは、笑いながら言った「皆同じですよ」そして、「われわれ障がい者同士にも偏見や差別があるんですよ。」と言い続けた。 ある飲み屋でのこと、車椅子の人たちが入って行くと、ジロジロ見て、「そんな身体で良く飲みに来るもんだ。」と言う人がいた。車椅子の人たちが、声のする方を見ると何と身体に障がいのある人たちだった。「お前たちだって同じじゃないか」と言い合ったという。嘘のような本当の話である。 そして、あらたに来たらその人たちが出会ってしまったそうだ。「人の意識が少しでも変わるようにやって行きましょうよ」と。辛い思いをしてきた人しかできないような優しい微笑みをたたえて頷いている人たちに囲まれた。温かい信じ合える素敵な仲間と私は活動していくのだと確信した。 庄内弁「めじょけねえの」はかわいそうにと心を寄せる温かい言葉なのに、同情は同時に人を傷つけることもある。あの時、私や障がいのある仲間たちは決してかわいそうではなかった。元気に明るく積極的に自立した人としてボランティア活動に参加していた。明るくご苦労様と声をかけてくれた人には、つい手を振ってしまった。 福祉マップは物理的なバリアフリーを調査する活動として始めたが、学んだのは心のバリアフリーだった。あれから22年たった昨年度、福祉マップ全県版を地元のボランティアや自治体の担当者協力のもと山形県社会福祉基金の補助を活用し出版した。また。NPO法人あらたのホームページwww.npo-arata.comにも掲載した。是非見て多くの方から活用していただきたい。